2017年5月30日火曜日

フィールド調査における『調査されるという迷惑』

宮本常一,安渓遊地 『調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本』 みずのわ出版,2008.(amazon.co.jp

第1章は民俗学者の宮本先生(初出は『朝日講座・探検と冒険〈7〉』朝日新聞社,1972年 所収の「調査地被害―される側のさまざまな迷惑」.宮本先生は1981年没),これ以外の章は地域研究者の安渓(あんけい)先生による.

第1章・第2章・第6章では,聞き取りをする相手がその地で生活を営み働いている生身の人間であることを無視して「研究」(または「取材」)なるものが行われてしまったことによる悲劇が例示されている.調査する側の高圧的な態度によって口を閉ざしてしまう人,繰り返し調査団がやってくることで「自分たちのしていることがひどく古くさく悪いことではないか」(p.19)と思うようになってしまった人,研究者を失望させないようにとありもしない伝説をつくってしまう人,メディアの短絡的で偏向的な報道や捏造,自分勝手に調査地を選定した挙句地元に調査費を要求する者,古文書などの資料を”借りパク”する研究者,貴重な植物などの存在を学術論文等で公表したことで保護するどことか逆に盗難にあった事例,等々.「調査に名をかりつつ,実は自分の持つ理論の裏付けをするために資料を探して」(p.25)しまうことはフィールド・ワークに限らず研究全般でありうる(HARKingとは逆の手続きのp-hackingのようなものだろう.Googleの尾崎さんのツイートにある「Decision-Based Evidence-Making」も似たようなものかもしれない.この手の話は幾らでもある).トラブルの原因は調査側の無思慮さや不注意以外にもありえる.たとえば第4章では安渓先生ご自身が「話者が筆をとる」(住民側が自身の手で伝承などを書き起こすなどの)スタイルでの研究において,住民間で異なる伝承が衝突し,軋轢や権力闘争のようなものが引き起こされてしまった事例が紹介されている(cf. 基盤C「話者が筆を執る時」FY1995).

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。