2018年3月29日木曜日

オーラル・ヒストリー事始め

オーラル・ヒストリー oral history (=口述史)について調べる.聞き取り,聞き書き,インタビュー(多くは非構造化インタビューに該当),ヒアリング,談話聴取,史談,などと呼ばれることもあるし,それらとは区別して用いられることもある(用語と用法の関係は法政大大原研 2009 所収の山本 2007試図を参照).政治学や社会史などdisciplineによってOHとして捉えている概念から運用まで,相当異なる.以下,様々な立場からの説明が混在していることに要注意.

定義など.
  • 「「その時」彼らが何を考え誰に何を働きかけたか,そして誰からあるいはどんな事態から影響を受け,かくしていかなる決定・行動をしたのかを聞き取る作業」(原 2003=2014 序説)
  • 「公人の,(OHの)専門家による,万人のための(=情報公開を前提としている)口述記録」(御厨 2002 p. 5,御厨 2007 §1.2,朝日新聞デジタル 2018年1月法政大大原研 2009 所収の倉敷 2007など明示的な異論あり.政治学を専門とし政治家や官僚へのOH歴の豊富な御厨先生らしい定義で,同時に史学の観点・用法とは必ずしも相容れないのだろうとも思うが,御厨先生ご自身ものちに語り手を公的経験を有する人に限定する必要はなく,市井の人々も含まれると語っている
  • 「体験者あるいは当事者が,その経験を音声を通じて表明したものを記録したもの」,「当事者への聞き取りの記録が残される場合,あるいは記録を残すことを目的になされる聞き取りが行われた場合,その記録がオーラル・ヒストリーである」(飯尾 2005.聞き取りが行われたとしても,それが記録として残されることなく論文執筆に活かされるだけだった場合,それはOHではない.また当事者本人が自らの述懐を記録に残した場合,それもOHではない.

入門書や概説は以下など.

なんでも,2018年1月刊行の『広辞苑 第七版』で追加されたとか.

留意すべき特性と位置づけ


  • 史学における言語論的転回(意識から言語への転換)を機に口述資料の価値も高まってきたとか.
  • 前提として,インタビューという行為自体が危険性を孕んでいることを常に留意すべき.
  • あくまでも文章資料(一次資料や既出文献)が情報収集の根幹であって,OHは補助的な手段―いわば補助線―であり(異論もある.cf. 法政大学大原社会問題研究所 2009 第2章),補完関係にあるともいえる.「厳密な実証よりは,むしろ論文執筆の過程での著者の心象形成に役立つ」(御厨 2002 p. 50),「オーラル・ヒストリーから直接論文に使える部分は少ない.もっといえば論文には使えないけれども,オーラル・ヒストリーを読むとその時代の様子がわかることがある」(同 p. 64.このあたりは政治学者らしい論).研究者の構成を経たものを最終成果物とするなら,OHは研究の中間生産物と捉えることができる(飯尾 2004).「tool以上だがdiscipline以下」(山本 1998).
  • インタビュイー(インフォーマント)の記憶違い,自己正当化,利害にとらわれた歪んだ証言などのデメリットも念頭に置く.官僚の場合は行動を型にはめる組織文化ゆえに,回顧にとどまらず話者が過剰に物語を組み立ててしまうこともあるとか.ただしこれらの欠点は文書化された情報でもなくなるわけではない.文献を典拠とする場合と同様に,他の資料による検証を行ったり,COIやイデオロギーに起因するバイアスを識別することが求められる.トンプソン(2002 第4章)やポルテッリ(2016 第3章)なども参照.
  • 自伝や回顧録では書き手が意識的無意識的に特定のトピックを避ける可能性があるが,OHではそこにも切り込める可能性がある.事前に質問事項を通知していないOHでは即興性ゆえに本心が引き出せる可能性もある.
  • OHは議論でも対論でもなく,相手の認識をそのまま記述すること.インタビュイーが強弁している場合でも,遮るのではなく,それをそのまま再現し読者に伝える.たとえば岸信介元首相が意図的に証言を変えていることから,その時代を政治家として生き抜くためにいかに適応を試みたのか(のみならず,彼の人間性も)垣間見ることができるとの由(御厨 2002 pp. 66ff).語り手が言い淀んだ場合でもインタビュアーが要領よくまとめて勝手に結論付けたりしない(聞き手がコミュニケーションをリードする警察の調書とは異なる).基本,黙って聞く.
    • 他方で,OHからさらに一歩踏み込んで,聞き手による検証や議論,さらには第三者の専門家によるチェックを経た『李香蘭 私の半生』のようなインタビュー作品もある(御厨先生はこの形態をOHとは区別する).
  • ほかのインタビュイーの口述内容を披露したうえで同様の質問を質問することはNG.ダブルバーレル質問や誘導も避ける.
  • ジャーナリズムと異なり,アカデミズムのOHは組織全体を対象とする.個々人へのOHは蓄積され,科学的分析の対象となる.「個人(人物)オーラル」と「課題別オーラル」に加え,「同時進行型」というレアケースも.
  • ラポール構築を念頭に置きながらも,インタビュアーとインタビュイーの距離感に注意し,緊張感を失わないようにする.OHの時間以外に会ったり酒食を共にしないほうがよい(という意見もある.このあたりは政治学界隈).
  • 録音テープとテープ起こし原稿の扱いを含め,公開の有無や公表時期・形態(商業出版や学術報告書など)について覚書を交わす(トンプソン 2002 pp. 438ff).謝礼についても取り決めを設ける(機関によって内規で謝金上限額が決まっている場合もある.法政大大原研 2009 所収の吉田 2007 §2 によれば,謝礼として2-3千円以内の茶菓を持参するケースも).成果物について,すくなくとも無体財産権(知財)的にはインタビュイーの著作物となるらしい.法的・倫理的問題についてはヤウ(2011 第5章),トンプソン(2002 第8章)を参照.

具体的な質疑とインタビュー構成


インタビュアー・インタビュイーの両者がどのようにやり取りを行っているかについて以下に挙げるような transcript を参照できる(いずれも素起こしではなく,ものによっては相当程度再構成された状態と思われる).周囲の人や環境の様子や印象・認識,それらからどのように影響を受けたのか,思考の過程とタイミング,自己評価などをどのように質問しているかが分かる.質問内容やインタビュアー側の相槌・受け答えを読むと,インタビュー開始前の文献調査などの事前準備に相当の時間がかかったであろうと推察される.当然ながら,どの部分が単純な事実確認でどの部分が真意を引き出すための質問なのか,相手の応答によって質問内容や構成が変えられたのか,といった部分は分からない.

テープ起こしをそのまま発表するわけではなく,聞き手は証言内容を確認し,他の情報源との相違があれば二次調査を行う.語り手側の錯誤が明らかになった場合は撤回・修正されるが,その編集作業自体も記録し読者に伝える必要があるとの立場もある(法政大大原研 2009 所収の吉田 2007 §3).

OHからインタビュアーが何を感じたかは原(2015 第2章)が参考になるが,インタビュー(原 2003=2014)のどの部分を典拠に論じられているかはほとんど明示的に示されていない(cf. 『戦後日本と国際政治』 中央公論社).なお商業誌に掲載されるようなインタビュー記事については永江(2002)が扱っているが,これの学術版はなかなか見つけられない.

論文における活用


一般論としては御厨(2002)の他に,社会史を前提としたトンプソン(2002 第9章)も参考になる.御厨(2002 第2章)(升味 1968における実例などをもとに具体的に論じている)は以下のように分類する.伊藤・牧原型は単一事実を追及するカテゴリー,升味・水谷・御厨型は多元的に現実を解釈するカテゴリー(p. 75).
  • 升味型(大量引用型)
  • 水谷型(社会史構成型)
  • 牧原型(理論構築型):複合的な引用を繰り返してまず事実を明らかにする理論志向
  • 伊藤型(歴史事実探求型):文章資料を基本としながら,OHでしか裏付けられない場合に手堅く引用
  • 御厨型(文脈形成型)

実際の適用例は The Oral History Review (2015 impact factor = 0.34, Q2 in History, JCR),Narrative Inquiry (2016 IF = 0.32, Q3 in Linguistics, JCR) のようなジャーナルを起点にレビューして参考にすればよいかも.

別の具体的な実践例として,機械工業振興臨時措置法(機振法)を題材とした研究におけるオーラル・ヒストリーの活用については以下―尾高先生をPJの主査とする研究会の成果群―が参考になる.尾高・松島(2013 第II部)は複数のインタビュー速記録を収録している.

その他


科研費の助成を受けている研究課題とその領域を見ると,分野横断的に利用されているように見える.

東大の公開講座で御厨(みくりや)先生が担当された「オーラル・ヒストリーとは何か(2010年)」が動画で公開されている.他にも,YouTube(日本記者クラブ公式チャンネル)でOHについて語る御厨先生が見られる(書き起こし).

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